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変容する世界

ーベーシック・インカムのある社会ー

ベーシック・インカムがある世の中を想像してみる①

過去の投稿ではベーシック・インカム(BI)の定義について二回に分けて述べました。

この後は、定義の深堀り、事例の紹介、海外での動向などに触れたいと思っていますが、詳細に入る前に、BIがある世の中についてイメージを膨らまし考えておきたいと思います。

 

湧き上がる疑問や想定される状況を、一つずつ追ってみたいと思います。

 

①みんな働かなくなってしまうのでは?

BIがあれば生きるための労働は不要になります。しかし、BIは最低限の生活しか満たさないので、最低限以上の生活を望む場合は収入を必要とします。今やエコビレッジや地方移住者、ミニマリストが増え今後も増加し続けるでしょう。こうした物欲が低い人々はBI以外での収入を必要としないかもしれません。一方で、より良い商品やサービスを求めている人々がいることも事実です。こうした最低限以上のモノやサービスを購入するためには、現状同様労働や所得が必要です。よって、必ずしもすべての人が働かなくなるわけではありません。より多くを求める人には、より多くの所得が必要です。また、以下②のような理由で働く人がいることになります。

 

②なんのために働くのか?

上記の概念だと、労働は収入を増やすための行動となります。しかし、必ずしもそうではないかもしれません。生活費を稼ぐための労働が不要になったとき、人は本当にやりたいこと、心から望むことに時間を注ぐのではないでしょうか。それはボランティアや趣味という形かもしれません。同様に、企業に勤めるなど働くことを通じて、人が本来やりたいことをするかもしれません。そうした世界では、労働が「お金のため」ではなく、「喜びのため」になるのではないでしょうか。喜びのために働く人々で組織される会社とは、どんな職場環境なのでしょう。どのような実績を上げるのでしょう。どんな価値・貢献を社会にもたらすのでしょうか。本業で社会的責任を全うすれば、もはやCSRなど意義がなくなるのではないかと思います。

 

③労働に対する概念

ニート、失業者、ワーキングプア。このような言葉は存在しなくなるでしょう。そして、多くの人々が当たり前として持っている「不労=悪」という概念。これは崩れ去るのではないでしょうか。それではどんな概念に変わるのか?もはや「不労」という言葉すらなくなる気がします。生きるために働く必要がないので、労働という概念が消えると思います。働きたい人が働くため義務や責任は伴いません。人生の一つの選択肢です。強いていうならば、労働は「活動」の概念と同じになると思います。行いたければ行うという自発性を含んでいます。活動しないことを不活動とは言わないように、不労という言葉や概念はなくなるのではないでしょうか。

 

④競争社会の消滅

持てるものが富む、この概念もなくなると思います。多くを持たなくとも、最低限の暮らしは全員満たされているからです。すると、競争意識が自然と消えていくのではと思います。秀でていなくても皆んな最低限の生活が保障されているからです。今の世の中は物質主義であり格差社会です。それらは資本主義を元に形成されているため、より持つものがより富を得られるシステムです。低〜中間層は、最低限の生活を満たすため、贅沢品や高級品を購入するために一生懸命に働きます。そのため同じフィールドにいる人々よりもパフォーマンスを上げ、結果を出し、実績を上げ続けたりしながら収入を増やし続ける必要があります。また上には上がいるため終わりはありません。必然的に仲間を蹴落とす競争社会です。BIがあってもより富を求める人々の社会では競争原理は働くのだろうと想像します。しかし、より多くを持つ=富という概念が根底にあるからであって、それが崩壊した世界では、競争原理も働かなくなるのではないでしょうか。また、生活よりも喜びのための労働を基本としていると思うので、欲望を満たすための競争はなくなっていると思います。

 

まだまだ疑問や想定される状況はあります。次回に続きます。